寫真days

旅や街中で撮った写真を掲載していきます。すべての鼓動を、美しく。

写真は楽しい

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最近思ったことがある。写真はやっぱり楽しい。
僕は本格的ではないが昔から写真をスマホや携帯電話でよく撮っていた。
ちゃんとしたカメラを買ってやり始めたのは母が大学二年生のときに亡くなって、葬式に使う遺影の写真を探していたときにあまり母の写真が見つからなかったのがキッカケだった。
ろくな写真がなかったと言えば嘘だがスマホが流行り始めた頃デジカメ文化がギリギリ廃れるくらいの時期で撮影枚数自体も少ないし、あまり綺麗には撮れていなかった。
私は部屋で一人パソコンに向かって必死に綺麗な母の写真を探していた。
母の最期を飾るのだから下手な写真は駄目だと本当に必死に探した。
4枚ぐらい候補を提示して、家族と相談して遺影の写真には弟の中学卒業式の写真の家族写真から切り抜いた。
真面目な顔よりよく笑っていた母の笑顔のほうが良いだろうと思ったからだ。
母は中高大と女子校だったので女友達がとても多くその人達から遺影の写真は母らしいと言われた。
それからだ。私が写真をはじめたのは。
今では少し変わったが最初カメラを初め、家族や友達を撮る時は明日もし被写体が死んでも大丈夫というとても後ろ向きな心構えで撮っていた。
嘘かと思うかもしれないが本当にそういう思いで撮っていた。
あの時の自分は家族親戚はもちろん、友達も失うのが怖くて怖くて人の葬式に出たくないから死ぬなら一番最初に死にたいと思っていたくらいだ。
今でもあまり長生きして一人ぼっちになるのは嫌だなあとは思ってる。

タイトルは愉快なことを書いておいて暗い話になってしまったが少し心境が変わることがあった。
僕は旅行先で友達をよく撮る。
カメラを向けて怒る友達はいない。
変顔するやつ、笑うやつ、ふざけて真面目な顔をするやつ。
そういう人たちを撮っているとこっちまで楽しくなってくる。
笑顔につられる、変顔につられる、ふざけるのにつられる。
人間暗いこと、後ろ向きな考えをしていると疲れるものだ。
私も疲れていた。だけど愉快な写真を撮ってると自然と身体が軽くなり、後ろ向きな考えをしなくなった。
友達も僕の事情を知っていて、いつも以上に明るく振る舞っていてくれたのかもしれない。
そうなると写真は楽しい、楽しいと思えるようになった。
いや後ろ向きな考えをしている時も楽しかったのだがベクトルが違ったのだ。

人間誰でもいつか死ぬ。僕も家族も友達いつか死ぬ。
明日かもしれない。1年後かもしれない。50年後かもしれない。
でも今日は死ななかった。
だから僕は写真で楽しい時を残せるようにしていきたい。





PS.柄にもなく長文で臭いことを書いてしまったが今日はそういう気分だったということにしておこう。