この前栃木の足尾銅山に観光に行ってきました。
私は日本史好きなので足尾銅山とはどんなものかわかりますが一般的に知らない人も多いと思いますので軽く説明します。
栃木県の足尾町にあり、江戸時代から銅山として栄えていました。
明治維新後に古河市兵衛(古河財閥の祖)が銅山を買い、最新技術を使い日本一の銅産出量(シェア4割)を誇り栄華を極めてまし。
しかし大量の採掘により鉱毒被害が拡大。
衆議院議員の田中正造が明治天皇に直訴するという足尾鉱毒事件がありました。
足尾銅山は日本の発展による光と鉱毒被害による影があることを忘れてはいけません。
黄色トロッコに乗せられ、坑道に入っていきます。
この檻の奥にはいけませんがこのような道が幾重にも続いており、総距離は東京〜福岡までと同等だということです。
明治維新前までは鉱夫が手掘りしていたので大規模にできず閉山状態でした。
このように人形がいたるところに配置されており、説明がありました。
一気に時代が飛んで明治維新から昭和です。
トロッコを使い回収することやドリルを使うことで新しい鉱脈を見つけることができたため上記のように産出量が4割まできたのです。
続きます。